4年生から通っていた日能研、先日次男が突然
俺、もう塾辞めたい…
と言い出しました。
少々驚きましたが嫁も少し限界を感じていたらしく、色々と惜しいけど5年生の夏休みをもって退塾しました。
Contents
日能研での1年半
入塾
兄の失敗?があったので次男は小3の2月から通い始めました。
小3の夏休み、冬休みに体験にも通っていて、本人が行きたいと言っていたので万全の体制で入塾しました。
小学校4年生時
小学4年時は“辞めたい”とは一言も言わず、むしろ楽しそうに通っていました。
時間を決めて宿題のルーチンもきちんとこなし毎日の生活のリズムが出来上がりました。
日曜日にはほぼ毎週テストが行われていましたが、文句も言わず通っていました。
夏休み、冬休みの講習も休まずに通い、それどころかオプションの追加授業にも参加していました。
4年になると学童もなくなるので、お金はかかるけど塾に居る時間を長くしておいた方が安心なので親としても助かっていました。
長期休暇時は毎日塾があるので、宿題は翌日までに仕上げて提出しなければなりません。
帰ったら黙々とまずは宿題を仕上げていたようです。
妻が帰ると、晩御飯の用意するより先に
宿題分からんとこあるけん教えて~
と必ず先に全部終わらせないと気が済まない性格らしく、直ぐに捕まえていました。
小学4年時成績
宿題とテストのやり直し、毎朝登校前に漢字と計算を交互にやると言うスケジュールで成績は真ん中ちょい上位を安定してキープしていました。
まだ特に目標があった訳ではないので無理をさせずそれ以外は何も行っていませんでした。
テスト前はプラスして見直しを妻としてましたが、ちょっと理科や社会で一夜漬けが当たると上に振れて喜んでました。
毎朝登校前の漢字と計算はやっつけで行っているのか、身になってないようでテストで満点を取って来る事はなかったです。
それでもコツコツと文句も言わず行っていました。
小学5年進級時
兄が中学に進学したので日能研を卒業しました。
日曜日はいつも一緒にテストに通っていましたが2月からは一人になりました。
日能研は中学は無いので兄は違う塾に通い始めました。
そこは小学生の部もあったので、
日能研辞めて兄ちゃんと同じ塾通う?
って聞いた時は、
友達おるし楽しかけん日能研がいい!
と答えていました。
退塾に至った心境の変化
2月に聞いた時には楽しそうに答えていたのに、半年でなぜ辞めたいくらいの心境の変化が生まれたのか。
格段に難しくなった授業やテストに対応出来なくなってきた
5年生になると授業のスピードも内容も一段階上がります。
内容を見て
“これ5年生でするのかー”
と驚く様な内容になってきます。
特に算数と理科が大変です。
きちんと基礎が固まってないとチンプンカンプンなまま物凄いスピードで授業が進んでいきます。
1学期の総復習が夏休みにありますが、理解していないとここまでチンプンカンプンなまま進行していきます。
また、この頃から全国模試でトンでも問題が出題され始めます。
正答率3%の問題とかが出てきます。
日能研の全国模試は全国区なので灘や開成と言った日本トップの受験を目指す小学生も、学校の授業から遅れないように通っているような中学受験を行わない小学生も同じ問題が出題されます。
一部問題の分からないの内容が、“解けそうだけど分からない”から“全く手が出ない”に変わります。
まだトバして“出来る問題から解く”や“潔く諦める”と言った思考を持ち合わせていないのか、こういった問題でつまづきトンでも点数を取って来た事があり、それでへこみまくる日もありました。
やり直しをしていて、
こんな問題はみんな出来ないから心配しなくていいよ
って言っても、
じゃあなんでみんな解けんような問題がテストに出るとや!
と言って悔しがっていました。
説明しても全く理解できないから、それがまた悔しいようで度々癇癪を起す始末。
怒って泣き出してそれでも落ち着くと正解が気になって聞きに来るけど理解不能。
この頃、妻がテストのやり直しを見ていて、
レベルに合わせた問題が出る塾が良いかも
解けて気分良くなった時に褒めてノッっていく性格だから…
分からなくても説明聞いて分かりそうな問題は後回しでするけど、手の出ないのにはひたすらイライラして止まってる
と言っていたのを覚えています。
やり直しをしていて、フツーに解くとそれなりの成績だったろうけど、こう言った問題で躓いて次の教科に引きずったりしてビックリ点数を数回とって順位がダダ下がりしたのがモチベーションの低下につながったのかも知れません。
上のクラスに行きなくないと言い出した
日能研はテストの成績でクラスや席が変わります。
早い時は一週間で変わります。
真ん中ちょい上位の順位だったんで基本は上のクラスに居ましたが、上記した様に躓いた時には下のクラスに移動していました。
始めて下のクラスに移動した時、
俺、ずっと下のクラスがいい
上のクラスに行きたくない
出来んとかな?
下のクラスの授業の方が楽しかった
って言って帰ってきました。
そりゃ好きなクラス選べたらテストでクラス分けの意味なくなるからダメじゃね?
って言ってたけど、よく考えたら上のクラスは久留米大附設中やラ・サール目指す子達が居るクラス。
確かにそんなレベルの子達と勉強するのはきつかったのかも。
下のクラスののびのびと和気藹々とした雰囲気で勉強したかったのかもしれません。
そこで、2回目にクラス落ちした際に塾にお願いしてずっと下のクラスに居るようにしてもらいました。
コンビニ弁当に飽きる
5年生から日能研の終了時間は夜9時を過ぎます。
19時半頃に夕食の時間が取られていますが、我が家は共働きで家から塾にも遠いため弁当を届ける事が出来ませんでした。
小学5年の同時期、兄は上のクラスで仲の良い友達と一緒に目標の学校を設定し、モチベーション高く通塾していたのでそれでもしょうがないとあきらめてくれていました。
小学6年時には平日毎日通塾していたので、毎日コンビニ弁当を食べていました。
しかし、そのモチベーションがない次男には酷だったようです。
俺、週2回も夜コンビニ弁当食べるのあきた~
って漏らしていました。
また、兄の学年には同じような境遇で夜ご飯を買いに出る友達も数人居たようでしたが、次男の学年は少なかったようでそこも寂しかったみたいです。
最後のテストは過去最高の順位で終わる
6月の末に辞めたいと言って来たので、2週間様子を見て何回か意思確認を行いました。
それでも一過性のものではなく、本当に辞めたそうだったので塾に連絡を入れました。
辞めると言って決まったのに毎日の日課は最終日までしっかりとこなしていました。
平日は登校前に漢字・計算を行い、宿題もきっちりと行う。
夏休みに入ってからも午前中塾に通い帰って来たらまず宿題を終わらせる。
分からないところがあれば妻が帰って来たら捕まえて一緒に考える。
もう辞めるから順位もこだわらないだろうし適当にテストも受けるのかと思いきや、
明日テストだから一緒に見直ししよう
と言って恒例の一夜漬けを行っていました。
そのかいあって最後のテストは今までに見た事のない点数と順位・偏差値で終わる事ができました。
フツーに上のクラスでも通用する点数だから辞める必要ないんじゃね?
って思い本人に、
凄い点数良いから辞めるの辞めてまた行けば~
これからまだどんどん伸びるよ~
って言ってみましたが、やっぱり
もう行かん!
って返されました。
最後の挨拶は意外とアッサリ
最終通塾日に面談のアポを取り最後の挨拶に伺いました。
フツーに成績の報告や科目毎の弱点部分や今後の勉強方法、対応の説明があり最後に
“本当に辞められるんですか?”
と尋ねられました。
7月の上旬に退塾を伝えたので、その時驚いてその後の経過を注意深く見ていたが最後まで塾としては理由が分からないと言われました。
本人は下のクラスに固定してからは毎回楽しそうに発表もするし、課題解決の話し合いは仲間とワイワイやって輪の中心で議論も進めてくれるしでとても辞めそうな生徒に見えないと。
最後の授業でも宿題もきっちりとこなして元気一杯発表もして帰って行ったと。
今までの辞めそうな子は元気がなくなってきたり、友達の輪から抜けていたりと結構見ていたらヤバイかなって思う部分があるけど、全くそう言う部分はなかったそう。
親としては最後まで楽しそうに通ってくれていたようで本当にうれしかったです。
そこで、塾の先生には難しい問題で躓いて癇癪を起す事、コンビニ弁当に飽きた事等お話しました。
それを聞いた先生は、
“確かに上のクラスで一人だけ解けなかったり間違えたりすることがあったが、凄いくやしそうにしてました”
と話してくれました。
最後のテストの成績を見ると辞めてしまって何もしないのはもったいないですね。
しばらくゆっくりしてみて気が変わったらいつでも復塾しに来て下さいね。
といって頂き塾を出ました。
漫画のような激しい引き留め等は一切ありませんでしたよ。
最後に
長男と合わせて3年半通った日能研。
思い返すと本当にアッと言う間でした。
毎週4回も迎えに行ってコンビニで待ち合わせしていたのが懐かしく思います。
本人達に確認しても、塾は楽しかったし授業は面白かったと二人揃って言っています。
親身になりお世話になった先生方には本当に感謝の気持ちで一杯です。
もし中学受験を検討したり、自宅が塾の近くでどこか塾を検討している人がいるとしたら、
日能研、とってもいい塾ですよ
と自信を持ってお伝え出来る塾でした。
ちょっと高いけど…